豊海町は潮干狩りの名所だった

Q:子供時代は川で遊んだという思い出が多いですか。

今は、川に対する思いというのがないですよね。

いつも言っているけど、月島はついこの間までは東京湾の最北ですからね、水と近いのは当たり前のことで、何ら怖いとも思わないし、濡れても嫌だとか思わないし、そういう遊びをしていました。

今の豊海町が、2号地のすぐ次の時は3号地だけど、豊海町が埋め立てられたのはその後だから、あそこが海水浴場であった時は私は知らないんですよ。

あそこが潮干狩りの名所である、遠浅ですからね。あさり、しじみと、よく売りに来ると言うけど、それよりあそこに行って、売りに来れば買わなきゃならないけど、あそこでは取れるんだから、そういう遊びというか、それは切実な話ですよね。

 

Q:豊海町が潮干狩りの名所だったのは、戦後間もなくの話ですか。

 

間もなくです。帰ってきてすぐだから昭和21、22年頃の話です。それよりもうちょっと前になると、90歳近い人たちはもう泳ぎ、海水浴場です。場所としてそれがあったかは知らないけど、私の記憶では遠浅になったときに潮干狩りをやっていました。

シオフキがやたらととれる。だれも見向きがしないんですよ。足が早くてむきづらいし、たくさんとってきて、佃煮にすればいいと思うけど、それは調味料が必要なんですね。そういう頭は全然ない。私の周りにそういう人はいない。そこの川の水を汲んで塩を作ろうかと言っていた時代ですからね。このごろはアオヤギって言って、高級ネタだなんて言うから、この間も仲間と、「なに言ってんだ。あんなバカ貝なんて…」いう話をしていたんです。

 

Q:子供時代の話ですが、子供たちはたくさんいたんですよね。

 

子供はたくさんいましたよ。亡くなる人も多かったですよ。同級生でも、何人か病気で亡くなった人もいるし、子供は多かったですね。大人は少ないけど、子供は多かったですね。若い人がいないんだから。

帰ってきても、私が疎開から帰ってきて、昭和21年とか、おじさんはいないですよ。おばさんとおじいさん。

だから、あまり活発な遊びというようなことは2、3年過ぎるまではやらないですよね。子供同士だけだから、遊び方も分からないし、遊ぶものもないし、ですから、かけっことか、あっちいったりこっち行ったり、一番遊びやすいのは水の中という話になってきたんですよね。

黒野さんへのインタビュー  5/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)

 


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