Q:黒田さんの路地にはどういう人が住んでいましたか?
ー大洋漁業と旭倉庫関係の人
あそこには大洋漁業の関係の人とか、それと魚屋。
大洋漁業関係の人が多いですよね。船員とかそういうのじゃなくて。
Qマルハの倉庫ですよね?
マルハの直接、氷を扱う人間とか、いわゆる事務方じゃない人が多かったですね。それと魚屋と。
あと、一番後ろが運送屋でしたね。どこの運送屋かといったら、旭倉庫専用の運送屋ですからね。だから、うちの路地のところは旭倉庫と大洋漁業関係の人間が住んでいました。ごくごく近いところでくっついて生活をしていたということですね。
Q:会社とか工場とか倉庫とか、近くに何があるかで、区画ごとに住む人も変わっていったんですね。
そうですよ。今みたいに通勤圏が何時間とか何キロとかそういう話じゃないですからね。せいぜい自転車か歩いて行かれる範囲内のことだから。
勝どきの渡しができたというのは工員のためにできたのね。人間を運ぶためにできたんだから。わざわざ渡しに乗って向こうに行って仕事してくるやつなんていやしないですよ。
Q:マルハさんと旭倉庫さんは、お住まいから半径50m以内ですか。
うちの路地のことでいうと、半径50m。
Q:そんな人たちが大部分だったんですね。
大部分です。月島はそんなところですよ。
黒野さんへのインタビュー 8/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)
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