松原美枝子さんのお話

Q:松原さんはいつごろから月島にお住まいですか。

ーお父さんが行徳から日本橋の魚河岸へ

私が生まれる前から、父と母が。行徳に実家あるんです。それで父親が魚が好きで、一人だけ単身で、日本橋にまだ魚河岸があったときに来ちゃったんです。そこで住み込みでやってて、やっぱりお魚とかさばいたりするのが好きだったみたいね。結構長く行ってましたね。また器用なの、それが。だからお刺身つくってもきれいに盛ってくれるから、やっぱりああいう食べ物は飾りですよね。

 

Q:一種の芸術品ですものね。

そうですね。だから父親がやったのはすごくおいしそうに見える(笑)。母なんか、ブツブツって切っちゃうから。でも食べてみると、ものは同じだからいただきますけどね。でもやっぱり父親がやっているときれいに並べて。だからそういうので私達を育てたから。その割にそういうことは私できないの。

 

 

Q:お兄さんはそういう血を継いだんじゃないですか?

兄はだめ、割合に。一段さがって甥の方が上手ですよ。器用です。だからやっぱりあれは血でつながるんじゃないんだね。やっぱり小さい時からおじいちゃんがやるのを見てたり。うちの兄はあまり上手じゃなかったから。ひいおじいちゃんのを見てたから、やり方なんかは分かるけど。

 

 

Q:お父さんは魚河岸に勤めていらしたんですね。

ーお父さんは本当は大家さん業

そうです、そうです。父のうちは、大家さんなのよ、本当は。
月島じゃなくて、千葉県のみなとって、渡ってすぐのところにあるんですよ。そこで大家やってたり、おじいさんっていう人は、80いくつまで自転車に乗ってそれの集金に行って。うちを貸しているでしょ。だから80いくつまで、自転車によく乗れたもんだなと思って。私なんか、80前になって自転車に乗れないですもん、怖くて。

 

ーお母さんはお酒を商っていた

だから父親のうちは、割合いいおうちだったのよ。母のうちはお酒を売ってたのかな。だから、私達が夏休みに行っていると、お酒を飲みにみんな、お手担ぎっていうのかな、皆さん担いで持ってくるでしょ。皆さん疲れたらそこで一杯やっておうちへ帰るという感じで。

 

Q:じゃ、お母さんは飲み屋さんのような感じもやっていらした?

そう、母親のほうはね。父親のほうは、大家さんで、デンとしてたから。そのかわり、おばさんの内職がわりに、やっぱり使っている人がいるから、よそ行って飲むよりも自分のところで飲んだ方が結局安くあがるでしょ。そういうので、そうすると、おばあさんのほうも身入りになるから。やっぱり考えてましたね、そういうの。私なんかそんなこと考えもしないけど。

 

 

月島の路地の風景

松原さんへのインタビュー 1/8   (インタビュアー宮本)
(2018.6.8)


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