Q:もうすぐ草市ですね。
商店街のお盆の草市なんか、とても楽しかったんじゃないかな。
今でも、中年の方なんか、「あの頃の草市楽しかったな」って。なんでこんな人が集まるのっていうくらい子供達がいっぱいでね。動きがとれないくらい。
お祭りの時も担ぎ手が多かったからすごかったですね、あの熱気がね。今はよそから担ぎに来る方がいるっていう時代だからね。あの頃は地元の方だけでもう手一杯だったけどね。
今年はまたお祭りですもんね。震災のあれで一年ずれちゃったけどね。
Q:うちの子も草市は楽しみでしたね。
そうそう、地元の子供達はね。
ー豆まきもすごい、人がわあっと揺れるという感じ
豆まきなんていうと、人が動くっていうのはこういう感じだって思うくらい、人がわあっと揺れるっていうの。「すごいな」っていう記憶がありますよ。そんなことでもみんな楽しい。
ーお盆には灯籠流しも
あと、お盆は灯篭流しが。今年からやらないみたいだけど、灯篭流しがあって、結構皆さんが参加して、仏様のご供養に灯篭をみんなあれして、ここをみんな歩くんですもん。
ー稚児祭り
それから、稚児祭りも何年かに一度あったかな。うちの娘なんかが出て写真が残ってるから。
稚児祭りもあったしね。ただいま、子供が減ってきてるから。そういった行事がだんだんできなくなっちゃうのね。
Q:稚児祭り、見たことないですね。
今も各部でやってますけど、昔は三之部の、善光寺様のあそこを中心にやったから。だから、ここへ全部集まるんですよ。だから、「うわあ、うわあ」って感じ。
それで危ないっていうんで、各部、一之部、二之部、三之部、四之部と分かれるようになった、今はね。
昔は、この三之部のこの観音様の前が中心だったから、人もすごい出たわけよね。ここはね。人が波のようにね。そういう経験があったわね。
Q:お嫁に来られて、よかったと思ったこととかは?
ーいろんな行事があるということ
いろんな行事があるっていうことよね。さっき言ったように、お彼岸があったり、稚児祭りがあったり、草市があったりお祭りがあったり、いろんな昔からやってきた行事があったというのがすごくいいなと思ってましたよね。
ーみんなで協力しないとできない
それに人がいろいろ携わって、みんなで協力しないとできないでしょ。だから、そういうことで成り立っていったんじゃないかしらね。
Q:それが長屋で住んでいる皆さんと商店街の皆さんとが持ちつ持たれつでやってこれたのでしょうか。
そう。私がお嫁に来た時にいたおじさんおばさんたちがいた頃が一番仲がいい時代ね。
その後世代が変わってきて、娘さんとか息子さんになったときに、だんだん薄くなってきちゃう。世の中も変わってきて、交通も変わってきて、あちこち目を向けることも増えたでしょ。
それまでは、ここの中でというのがあったけど、いろんな多様性が出てきちゃったから、自然とそういう変化がね。それはもうしょうがないのかな、時代の大きな流れというかね。
(沿革図集を見ながら)
こういう商店街があったんですもんね。これ絵を見ないと皆さん信用しないわよ。今、もんじゃ屋さんばっかりだからね。
Q:この前月島第一小学校の周年行事のときに、原画が公開されたらしいです。
あ、そう。上から見るとこうなんだけどね、昔は何もなかった、今はこのへん全部埋まってるでしょ。
この本出た時、これいいなと思ってね。どんどん変わっていくだろうけど。孫にあれしておこうと思ってね。
昔はこんなでしたからね。佃島だけでしたかね。
ー佃島のお祭りは江戸時代からのとてもいいお祭り
佃島のお祭りも、ほかの地区から比べると範囲はそんな広くはないけど、江戸時代からのとってもいいお祭りですよね。だから、私、最初から終わりまで一度見てみたいなと思ってね。明け方から始まるね。だけどビデオ買ったのでそれを持ってますけどね、一度見たけどすごい神聖な感じでおごそかで、始まりからすごいわね。感激しちゃった。
ー佃の盆踊り、素朴でゆったりとした時代の流れを感じる
それから佃の盆踊りもなんとも素朴な盆踊り。昔の漁師の方たちが仏様、死んだ方たちを供養するための踊りだから、静かで素朴で。その盆踊りが好きで愛好家の方たちが来るんですよ。私も一度見に行ったことがあるんだけど、とてもよかった。なんか涙出そうだった。素朴なね、派手じゃなくて、ほんとにゆったりした、時代の流れというか。
盆踊り、一度宮本さんも見た方がいいと思うわ。
ーこれが本来の盆踊りなのでは
なんとも言えないあの音楽と踊りが素朴。これが本来の盆踊りっていうんだなって思ってね。私たちは東京音頭とかああいう派手なね、あれするけど、本来はこれが盆踊りなんだなと思ってね。
動きもゆっくりだし、歌もね。一人、年配のおじいさんがいるんだけど、そのおじいさんが歌うたって、で、ちょっとささやかに太鼓が鳴るくらい、それに合わせてみんなが静かにただ踊るだけ。すごく感激しましたよ。
ほら昭和37年って書いてある。だからちょうど私がお嫁に来る3年前の状態でしょ。だから私が来た頃はまだまだこれ残っていたんですよ、この風情がね。全部ね。
Q:生き証人ですね
私なんか、まだまだ。主人の方がもっと。
(ご主人は)ほとんどここで育ってるからね。学校行くのに船に乗ったって言ってましたよ。
Q:月島の、いいところだな、すごいなと思ったところをもう一度おっしゃってください。
ーご近所に支えられたり、支えたりの人との繋がり
やっぱり人とのふれあいっていうか繋がりっていうか、そういうものがあったわけ。だからそういうことかな。ご近所に支えられたり支えたりっていうかね。それで繋がっていたっていうかね。だったかな。
ー映画『三丁目の夕日』のような、気持ちは豊かでのんびりしていた
ちょうど高度成長期前の一番、映画(『三丁目の夕日』)のあれじゃないけど、あんな感じよね。すごく豊かではないんだけど、気持ちはもっと豊かっていうか、のんびりしてたっていうかね。まあその感じの。
ー昭和40年代、一番最後のいいときに私はお嫁にきて、いろんな体験や学びができた
その後くらいからもうだんだん変わってきたから、ちょうどいいものが残っていた最後くらいでしょうね。昭和40年ちょっとくらいまではね。ちょうどその一番最後の頃のいいときに私はお嫁に来て、いろんなことを経験したし、教えられたしね。とてもよかったと思います。今思うとね。
Q:ここにはいろんな行事があって、住人と商店街の人達とが力を合わせて作っていったんでしょう?
ーその季節、行事がくるのが楽しみ
その季節がくると楽しみなのよね。またお盆がきたとか、草市がきたとかね、今度はお祭りだとか、何々があるとかね、町の人達も大変な反面楽しみ、楽しんでいたというか、そういうことがあればそれに携わってみんなが協力するとか、ちょっとお店があってもちょっと無理しながらも手伝うとかね。
そういうもんだと思ってたからね。それが当たり前だと思ってたから。
Q:ご主人はそういうときには出て行かれて、奥さんがおうちを守ってるんですか。
あれにもよるでしょうね。私が出れば主人がいて、主人が出れば私がいて。でも、うちの仕事柄、うちの主人がほとんど店にいなきゃいけないので、やっぱり私が出ることが多かったですよね。お祭りとか、男性的なものはあまり私は出られなかったけどね。
昨年の西仲商店街の草市(お盆用品を購入)の様子
子供達がとても楽しみにしている夏の行事
池本さんへのインタビュー 4/5 (インタビュアー宮本)
(2018.6.14)
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