池本久佐子さんのお話

Q:ご出身はどちらですか。

豊島区千早町。あの近くは文豪とか芸術家が多かった。すごくいいとこでしたよ。

 

Q:お嫁に来られたのはいつ頃でしたか。

ー隅田川が一番汚染されていた頃

昭和40年、二十歳の時。ちょうどあの頃、隅田川が一番汚い時で、ガスが発生して、「うわー」と思って、橋を渡った記憶がある。勝鬨橋をね。

 

Q:お嫁に来られて、月島と豊島区との違いはどんなところでしたか。

ほんとに閑静な住宅と畑がちょっと豊島区にはあって、ここは商家というか、の方たちが多いとこで、全然環境が違う。だからすごく好奇心はありましたね。

 

交番が前にあって、おまわりさん普段見るってことがないわけ。おまわりさんみただけで、なんか・・・。

 

 

Q:『沿革図集』の月島編を今見ていらしておっしゃっていた商店街の賑やかさ、団結力があったこと、そういうところを聞かせてください。

一番分かるのは、例えば、ここは一角一角切れてますでしょ?そうすると、ご近所で亡くなったりすると、お葬式の時なんか、みんなが集まってお葬式の準備するんですよ。お料理作ったり、手分けして、みんなが協力しあってお葬式のお手伝いする。それは驚いた。

そうやって先輩からいろんなことを教わるわけね。これからどうするとか、世間のこういうこと、上下関係とか周りのお付き合いということをそういうときに学ぶわけ。

「あー、そうなんだ」と思って、私は経験のないあれだったんで、今思うと「すごかったな、あの頃は」と思う。

 

Q:葬式は佃説教所で行われていましたか。

そう、みんなあの裏でお料理作ったり、一人先頭に立つ先輩がいるから、その方の指示に従ってみんな動くわけ。

だから、「こういうもんなんだな」と思って、「こういうのが下町なんだな」と思って。

以前にはない経験でしたね。

 

Q:いろんなことが団結心というか、お互いさま、助け合いだったわけですね。

地元の子供達は楽しんでね。草市も豆まきも。今年はお祭りでしょ。そういうのもすごく楽しみでしたよ。

 

Q:池本さんのところは、お嫁に来られた時から酒屋さんをされておられたのですか

酒屋です。

 

一番いい時にお嫁に来たわね。ちょうど「三丁目の夕日」じゃないけど、あれにかかった時代だったからよかったのよね。

以前うちは酒屋さんだった(現在はもんじゃえびすや)から、私もお嫁にきて配達したりなんかしてたでしょ。その頃のお客さんはみんないい方でね。私が配達にいくと、「お姉さん、おなかすいただろ、今、てんぷらあげたから食べてきな」とかさ、「おいしいお菓子入ったから食べてきな」なんて言ってくれるんですよ。

 

Q:いつもお店でお話しするのが楽しみでした。息子も可愛がっていただきましたし。

お客様もあの頃はのんびりというか、気持ちに余裕があったからね。来るお客さんも、良い方が多かったですよ。私は若かったから何も知らなかったけど、周りの方たちがすごくよくしてくれたし、良い方が多かったから、そこでいろんなことを見たり聞いたりしたから。いい時代だったなと思いますよ、あの頃は。

時代が変わっちゃうと皆さん、そういうお付き合いが薄くなってきちゃう。あの頃が一番よかったね。

 

Q:お向かいの交番の隣には映画館があったでしょう。

ー映画館は集会所、風呂屋には芝居の役者さんも

何か集会があると映画館を借りて集まってお話聞いたりして。よくすぐそばのお風呂屋さんにお芝居の役者さんがお化粧したままお風呂屋さんに行くのも見たしね、そういうのも私驚いちゃって、「別の世界に来たんじゃないか」と思う。

割とすぐ、その後お芝居小屋もなくなったし、映画館もなくなったし。驚きでしたね、あの頃はね、私にとってはね。

 

Q:どうしてすぐになくなったんでしょうか。

だんだん人口も減ってきてたし、ほかに娯楽ができてきたでしょ、いろいろ。だから前みたいに、娯楽が少ない時はそういう地元のあれをあれしてたんでしょうけど、だんだん世の中は、いろんな娯楽が出来てきてたから、そっちへ皆さん行くようになったから、だんだんすたれたんでしょうね。

 

Q:寂しいですね。

そう、時代の流れでしょうがないわね。

 

 

Q:地域の皆さんといろんなことを力を合わせてやってこられて、それが月島ならではということもおっしゃっていましたね。

 

ー行事はみんなで助け合い

ひとつ行事があると、みんなで助け合って協力し合ってやるというところがありましたよね。

ー当時、おじいさんは町会長さん

うちはおじいさんなんか、町会長やってたから、ご近所の人達がきて、「町会長、今度どうすんだ?」「ああすんだ」ということを話し合って、それにみんなついていって、協力してやっていくんですよね。だからあの頃は一番元気だったかなとか、絆があったかなとか思いますよね。

ーお嫁に来て、草市に感激、みんなの団結力

草市なんかとてもすごかったからね。わーっとお店が出てね。路地・路地もぜんぶ出て、植木がいっぱい出て。私が来たての時が最高だったんじゃない? 今言ったみたいに主人のお父さんが町会長やってた時だから、すごくいいときだった。みんなが協力し合って、すごいな、この団結力で。私は豊島区の住宅地の中に静かにいたから、ここに来たときに環境が全然ちがうわけ。

 

池本酒店(現もんじゃえびすや)の向かい側の元交番(現交通安全センター)
この隣には、映画館や芝居小屋、寄席などがあった

 

池本さんへのインタビュー  1/5    (インタビュアー宮本)
(2018.6.14)

 


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