隅田川沿いの倉庫街と酒屋さん

Q:高度経済成長期に入って、隅田川も汚れて臭いがしたり濁ったりで、でも生活は豊かになってきて・・・。その後川もだんだんきれいになってきて、川の風景も変わりましたか。

 

ー隅田川沿いは大手の倉庫が並んでいたが、移転して景色が一変

その川っぷちから全部、大手の倉庫だったの。いろんな大手のね。みんな川から運搬してたけど、その会社が全部、移転しちゃって、ここが全部空き地に、空いたんですよ。そこに全部、今、マンションが建っちゃった。だから全然風景が変わっちゃった。


ーうちの前の突き当たりにはマルハの倉庫、真夏でもマイナス下で働く人たちがうちにお酒を飲みに来る

うちなんか、前、このつきあたりがマルハの大きい冷凍倉庫だったの。ここを何トン車っていう車がダーと走るんですよ。すると家が揺れるの。そこで働いている方たちがマイナス何度というところでお仕事してるから、真夏でもこんな厚いお洋服着てうちへお酒を飲みに来るの。体が冷えるから。真夏でもね。そういう方たちが一杯飲んじゃ、また倉庫に帰って行って、マイナス何度だろうね、お魚も。そういうところでお仕事するから。

 

ーここは酒屋さんが多かった

築地も近いし、そういう方が多かったから、酒屋さんがね、すごく多かった。やっていけたの。飲む方が多かったから。で、築地関係で働いている方も、ここ多いでしょ。その頃の方達ってみんな飲むんですよね。

だからお祭りのときすごかった。もう今でこそ、ちょっと飲むだけ買うけど、あの当時は箱買いですもんね。

 

Q:それは日本酒も?

特にビールが多いかな。そうね、ビールが多いわね、一番ね。

 

Q:隅田川沿いは倉庫街だったんですね。じゃ、風景が一変しちゃいましたね。

私、軍艦があるかと思うくらい、わーっと大きい建物が黒い感じであってね。ちょっとドキッとする感じだったわね。だけど、今でこそ、きれいでしょ。外国みたいにマンションが建っちゃってね。それ、全部倉庫が移転しちゃったのね。

 

Q:築地が近くて魚河岸が近くて、倉庫があって、ほんとに魚の街っていうところだったんですね。
もんじゃ屋さんになって20年ぐらい経ちますか。

そうですね、20年近くなるかな。平成16年、そう14年になるか。それ以前、ちょっと5,6年前からもんじゃ屋さんが増え始めたからね。こんなにもんじゃ屋さん増えるとは思わなかったけど、みなさん頑張ってそれなりにやってらっしゃるから。

 

Q:地下鉄が開通して足の便が良くなりましたから大勢の方が外から来るようになりましたからね。

鉄道っていうのはすごいですよね。新宿から一本で来られるとか、本当に遠かった池袋のほうからばあっと来られるとかね。

 

ー月島はてっきり島だと思って赴任してきた学校の先生

昔はちょっと島みたいな感じよね、一つのね。だから、笑い話があって、昔、どこかの小学校の先生が赴任して来たんですって。月島っていうことで来たんだけど、てっきり島だと思ったらしいの。海かなんかのね。「どっからお船に乗っていけばいいんですか?」って聞いたっていう笑い話があるんですけどね。

前は同じ中央区だって言ったって、隅田川を渡ってこっちへ来ると、みんなあまり知らないわけよね、この場所はね。東京でも端のほうでしょ。だから知らない方がいっぱい多かったんでしょうね。

 

Q:私もどこの島だと、最初思いました。船で大島とか、遠くから通勤に来ているのかなくらいに思っていたんですけど、こんな都心だったとは

そう。で、聞いたら結構歴史が面白いんですよね。佃島から月島につながってね。昔は佃島だけだったのが、埋め立てて月島ができたでしょ。だから昔の版画なんか見ると、佃島のあれがあるけどね。

 

 

Q:うちの夫は勝どきは海水浴場だったとか、晴海は野っぱらで虫をとったとかいう話をしていましたが。

 

ーご主人の子供時代には、隅田川はきれいで遊んだり、白魚をとったり

主人が小さい時は、隅田川はきれいで、白魚がとれたって言った。で、みんなで川で泳いだりして遊んだって言ってた。その後泥の川になっちゃったでしょ。だからあそこの、お台場のほうなんか、昔はごみの集積でもってすごかったのが、埋め立てて今、すごくなっちゃったけど。

ー息子さんも晴海で遊んだ

あの頃は息子なんかでも、あの辺の晴海のほうで遊んでたって言ってますよね。友達とね。行っちゃいけないところ行って怒られたなんて私には内緒で言ってましたけどね。

 

現在の隅田川と勝鬨橋
左側が月島・勝どき、右側が築地

池本さんへのインタビュー 3/5     (インタビュアー宮本)
(2018.6.14)


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