西仲商店街で買い物はすべて賄えた

Q:今はいろいろ環境が変わりましたね。

地下鉄が出来たことでだいぶ月島が変わってきたんじゃない?有楽町線ができて、「あ、変わった」と思って、その次、大江戸線ができて変わったと思って。だから交通があれしたことによって、なんとなく町が変わってきたというか。

 

Q:町が変わってきたし、そうやって一つのことをみんなで取り組むということが高齢化もあって変わってきたんでしょうか。

世代が変わって若い方になってくると、だんだんおうちを継ぐという方も少なくなってきたり、若い方は外に出たりする。すると今度は、ご近所とのお付き合いは今までみたくやろうという人が少なくなってきちゃうのね。だからそういうことかな。

後を継ぐ人が少なくなってきたから、周りの環境とかいろんなことが変化してきたことで、なんとなく少しずつ少しずつ変わってきちゃったっていうかね。誰か、これがこうでというのじゃなくてね。だんだんにね。

 

Q:お嫁に来られたころは西仲商店街にはいろんなお店がありましたか。商店街で全部買い物が済んだという話も聞きましたが。

全部済みました。ここの中にいれば、全部、商店街で済みましたでしょ。お風呂屋さんもあればすべて、ここの町、商店街だけで全部済んだから、外へ行く必要がなかったですもんね。また、ここに来て買うということが楽しみだったというかね。

 

Q:もともと物価が安くてみんなが買いに来ていたということも言われていますね。

ー築地が近いので、魚屋は安くて豊富な品揃え

築地が近いからそういう点ではお魚屋さんなんかでも、豊富でおいしくて安いものは売ってたから、そういうこともありますよね。

Q:知っている限りでは、魚屋さんは3軒くらいありましたけど。

そう、一之部、二之部、あと裏にもあったし。もっとあった。商店街では三軒くらいかな。

 

Q:今は少なくなりましたね。

少なくなった。あの頃、夕飯の買い物、「今日何しようか?」って準備するっていうか、考えることが楽しかったからね。忙しいながらも結構料理つくりましたもんね。

 

Q:おすそ分けとか貸し借りとかは?

たぶん私が来る以前のほうがそういうあれが多かったかもしれないけど、私が来た昭和40年代はちょっとそういうのが少なくなってきた。「ちょっと貸して」とかいうのはね。ちょっと豊かになったんじゃないかと思うの。

それ以前だったら、ないことが多いから、隣のおばさんで「あれ貸して」とかっていうお話、聞きますよね。だけど、昭和40年過ぎたころには、全体がちょっと豊かになってきているから、「貸して」って言うことは、ものにもよるとは思うけれど、少なくなってきたとは思うわね。

 

現在の西仲商店街の参番街
池本さんの「もんじゃえびすや」
夕方賑わいの風景

池本さんへのインタビュー   2/5    (インタビュアー宮本)
(2018.6.14)