三間道路と川面の光は心の安らぎ

Q:現在の話で、すぐ思い浮かぶことは何かありますか。

ーガラスに反射する光と川面に当たる光の反射の具合は違う

ここのところは三間道路でいいけども、
だいたいガラスが嫌いですから、ガラスに直接にあたって反射してくる光と、川の上の水面にあたった光の曲がり具合とか、まったく違うでしょ。

ー高い建物を見て生活するのと三間道路の目線で生活するのとは違う

月島はまだいいけど、勝どきのほう、晴海でもいいですよ、新しいまち。
建物そのものはいいにしても、だいたいがあちこち言うと、上を見て歩きすぎる、建物が高いから、自分の目線とか、三間道路の目線で生活するということが少ないですよね。
何だか知らないけど、口あいて上のほうばっかり見ているから、そういうのが嫌いだと。
そういうことを言うと、何も話にならないだろうけど。

 

ー川面に映る光の反射は心に安らぎを与えてくれる

それはどういうことから感じるかというと、水面に写る光の反射具合、あれには荒い時もあるけど、凪いでる時とかもあるけど、あれには心に安らぎを与えると、それが水面に反射する光だと。高層ビルのガラスから直接やってくる、あんなものは大嫌い。それからドライだと。

それと雷、落雷のときに高層ビルの間に行ってみてくださいよ。音。光もそうだけど、あの音のやかましさ。ガンガン響いて。あれ、三間道路、ここにはないですからね。やかましいのはみんなどっかいっちゃうんだから。それが段々顕著になってきたんですね。

 

Q:落ち着かない?

うん、まあ、それは時代だから、そういうことなんでしょうけど、まあ・・・。

ここがどうなるか難しいけれど、やっぱり街全体がドライになったということです。

言葉を悪くすれば、殺伐としているということだよね。で、面白くないと。そういうふうに思います。

 

朝潮運河の夕日

黒野さんへのインタビュー  9/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)


ご近所はマルハと旭倉庫関係の人

Q:黒田さんの路地にはどういう人が住んでいましたか?

ー大洋漁業と旭倉庫関係の人

あそこには大洋漁業の関係の人とか、それと魚屋。
大洋漁業関係の人が多いですよね。船員とかそういうのじゃなくて。

 

Qマルハの倉庫ですよね?

マルハの直接、氷を扱う人間とか、いわゆる事務方じゃない人が多かったですね。それと魚屋と。

あと、一番後ろが運送屋でしたね。どこの運送屋かといったら、旭倉庫専用の運送屋ですからね。だから、うちの路地のところは旭倉庫と大洋漁業関係の人間が住んでいました。ごくごく近いところでくっついて生活をしていたということですね。

 

Q:会社とか工場とか倉庫とか、近くに何があるかで、区画ごとに住む人も変わっていったんですね。

そうですよ。今みたいに通勤圏が何時間とか何キロとかそういう話じゃないですからね。せいぜい自転車か歩いて行かれる範囲内のことだから。

勝どきの渡しができたというのは工員のためにできたのね。人間を運ぶためにできたんだから。わざわざ渡しに乗って向こうに行って仕事してくるやつなんていやしないですよ。

 

Q:マルハさんと旭倉庫さんは、お住まいから半径50m以内ですか。

うちの路地のことでいうと、半径50m。

Q:そんな人たちが大部分だったんですね。

大部分です。月島はそんなところですよ。

黒野さんへのインタビュー  8/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)

 


知らない人まで味噌を借りに来る

Q:家庭を持たれたとき、ご近所づきあいはいかがでしたか。

ーうちは酒屋だった

うちは酒屋でしたから。親爺は酒を商売にしていましたが、親父はすぐに死んでしまって。おふくろがただ座っているだけで店の人を何人か使ってて。それで戦争になって、空襲で緑町に越して、3月9日の空襲で従業員がみんな死んじゃったんです。

ー知らない人まで味噌を借りに来る

お袋が一人になって、あとは、店にあるものを食って、つないでいたということで。ですから、一応食い物があるから付き合いがいいですよね。米の貸し借り、味噌の貸し借りやりますから。なんでもなくて、知らないでも近所の人が来て座っているんですからね。何しているのかと思ったら、「味噌借りに来た」とか、そういう話。すぐ隣のうちでもそうですよね。知らない人が座っていて。まったく知らない人。そこの親爺は隣の部屋で寝ているが、知らない人が座っていました。

 

 

Q:それは信頼していたからですか。

警戒したって、とられるものはないですね。いくら隠してもたかが知れているから。入ったって、持っていくものは、それこそ、水飲むくらいのもので、そんなことです。みんなそうですよね。

 

Q:みんなそれで忙しいというわけでもないから、味噌借りに来て、それでゆっくりして、みたいな感じですね。

一応、仕事を持っている人は出かけてて昼間いないですからね。

ー月島は下請け工場の行員の町

それから、月島で、河岸に勤めてて、かるこ(軽子)やったりというのはもっと後の話ですね。それより前は工員ですよ。下請とか工員でね。一段落してから食い物というか、河岸に行って食堂するということですから。

浜藤だって佃権だって大きくなったのはずっと後ですよ。元々あったけれども、というふうに私の近所では思っていますよね。

やっぱり鉄工所ですよ。下請の鉄工所のほうが幅を利かせているというか、それの下請ですよね。石川島も含めて、石井鉄工、石川鉄鋼もあるけど。船なんていうのは部品すごいですからね。一万とか二万とかいう部品の話じゃないから、いろんなシャーリング専門にやるだけの店とか、研ぐだけの仕事とか、ものすごいですよね。

 

ー佃は箸と茶碗と醤油が似合う町
月島は手づかみとソースの町

私の印象としては、佃は別として、月島は工員ですよね。いわゆる油ですよ。向こう佃は醤油ですから、こちらはソースですよ。箸と茶碗と醤油が似合う町と、手づかみとソースの町と。品のないこと言うけど。自分の住んでいる町だから、そういうこと言うけど。そういうところですよね。ただ格好つけないですよ。

黒野さんへのインタビュー  7/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)