Q:家庭を持たれたとき、ご近所づきあいはいかがでしたか。
ーうちは酒屋だった
うちは酒屋でしたから。親爺は酒を商売にしていましたが、親父はすぐに死んでしまって。おふくろがただ座っているだけで店の人を何人か使ってて。それで戦争になって、空襲で緑町に越して、3月9日の空襲で従業員がみんな死んじゃったんです。
ー知らない人まで味噌を借りに来る
お袋が一人になって、あとは、店にあるものを食って、つないでいたということで。ですから、一応食い物があるから付き合いがいいですよね。米の貸し借り、味噌の貸し借りやりますから。なんでもなくて、知らないでも近所の人が来て座っているんですからね。何しているのかと思ったら、「味噌借りに来た」とか、そういう話。すぐ隣のうちでもそうですよね。知らない人が座っていて。まったく知らない人。そこの親爺は隣の部屋で寝ているが、知らない人が座っていました。
Q:それは信頼していたからですか。
警戒したって、とられるものはないですね。いくら隠してもたかが知れているから。入ったって、持っていくものは、それこそ、水飲むくらいのもので、そんなことです。みんなそうですよね。
Q:みんなそれで忙しいというわけでもないから、味噌借りに来て、それでゆっくりして、みたいな感じですね。
一応、仕事を持っている人は出かけてて昼間いないですからね。
ー月島は下請け工場の行員の町
それから、月島で、河岸に勤めてて、かるこ(軽子)やったりというのはもっと後の話ですね。それより前は工員ですよ。下請とか工員でね。一段落してから食い物というか、河岸に行って食堂するということですから。
浜藤だって佃権だって大きくなったのはずっと後ですよ。元々あったけれども、というふうに私の近所では思っていますよね。
やっぱり鉄工所ですよ。下請の鉄工所のほうが幅を利かせているというか、それの下請ですよね。石川島も含めて、石井鉄工、石川鉄鋼もあるけど。船なんていうのは部品すごいですからね。一万とか二万とかいう部品の話じゃないから、いろんなシャーリング専門にやるだけの店とか、研ぐだけの仕事とか、ものすごいですよね。
ー佃は箸と茶碗と醤油が似合う町
月島は手づかみとソースの町
私の印象としては、佃は別として、月島は工員ですよね。いわゆる油ですよ。向こう佃は醤油ですから、こちらはソースですよ。箸と茶碗と醤油が似合う町と、手づかみとソースの町と。品のないこと言うけど。自分の住んでいる町だから、そういうこと言うけど。そういうところですよね。ただ格好つけないですよ。
黒野さんへのインタビュー 7/10(インタビュアー志村先生)
(2018.5.27)
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