ローラースケートなど外で活発に遊ぶ

Q:物売りがよく路地にやってきたようですね。

ー金魚売り、おもちゃ売り

ええ。夏になると、いろんな物売りが来まして、金魚売りだとかも来ましたし、おもちゃを売るような人たちも来ました。

ーガイコツも

いろんなおもちゃがあるんですけど、手でこうやると糸が出てきてそれで遊ぶとか、ガイコツなんですけど、暗がりに持っていくと光るとか、そういうおもちゃを売りに来る人たちもいまして、そういうおもちゃを買ってよく遊びました。

 

Q:流行の遊びは何でしたか。

ー小学校の高学年の頃、ローラースケートが流行

とにかく私の小学校の頃というのは、路地で遊び、渡し公園で遊び、で、小学校の高学年の頃にはローラースケートが流行ってことがありまして、家でローラースケートを履いて、で、路地のところをローラースケートで走り回って、音がすごいんですけど、そういう音を出してもあまり近所の人から叱られた記憶がないんですけど、あと、三間道路のところはローラースケートで行ったり来たり、良く遊んでしました。車が来ない道なので、それほど走っていない道なのでいくらでもローラースケートで遊べたんです。

ー門前仲町の富岡八幡宮へローラースケートで行く

ローラースケートを履いて門前仲町の富岡さんの神社まで遊びに行ったとか、それでまたローラースケートを履いて月島まで帰ってくるとか、そういう遊びをしてました。

 

Q:子供時代、晴海や豊洲はどんな様子だったのですか。

ー晴海は原っぱで赤とんぼがいっぱい

あと、昔は晴海というのがほんとうに原っぱだったんですよね。で、秋になると晴海のほうに行くと赤とんぼがすごいんですよ、あとバッタ、そういうのをとりにいくとか、やってました。

ー豊洲は埋め立てる前は湿地帯

あと、豊洲のほうはすごい湿地帯なんですね。埋め立て前だったと思うんですけど、湿地帯で沼みたいなのが随分ありましてね、そこで筏を組んで、これもまた危険な話ですけど、筏で沼のところを渡って、それで自分たちの基地をつくるとか、そういうこともやったりしました。

 

Q:そばにある現在の西仲橋は屋形船などが停泊した静かなところですが、その頃はどんな感じでしたか。

ー西仲橋のところは倉庫街

ほんとに取り留めのない話になるんですが、西仲橋のところが倉庫街だったんですよね。で、いろんな木だとかなんだとかも置いてあって、そこで陣地を作りまして、川向うのところにも悪ガキがいまして、そこで陣地を作っている連中がいて、で、石の投げっこをして、これも危険な話で、で、怪我をした子供もいたんですけど、そういう遊びをしました。

 

現在の西仲橋

Q:親友との遊びで印象に残っているのは?

ー親友は山下造船の子

私の一番の親友が、山下造船の山下ヒロシというのがいたんですけど、小学校時代の第一の親友で、その山下ヒロシとはいろんなところに行って遊んで、山下造船の家のところもよく遊びに行ったんですけどね。

ー駄菓子屋さん

その山下と一緒に渡し公園で遊ぶとか、三間道路のちょっと先のところ、いま普通の住宅ですけど、スミヤさんという駄菓子屋さんがありまして、その駄菓子屋さんで駄菓子を買って、そんなことをしてました。

 

Q:月島と言えば、もんじゃですが。何か思い出はありますか。

小学校から帰ってからなんですけども、ちょっとおなかがすくというときにはここの路地の一つ二つ向こうの路地だと思うんですけど、もんじゃやさんがあって、もんじゃの鉄板が、大きな鉄板がひとつだけありました。

ー10円もんじゃ、もんじゃおせんべいをお土産に

そこの鉄板が、今、黒い鉄板なんですけども、本当に銀色の磨かれた鉄板で、そこでもんじゃが10円くらいなんですけど、キャベツだとかサキイカだとか天かすだとか、そんなもんしか入ってないんですけど、そのもんじゃを食べて、おせんべいができるんですよね。そのおせんべいを丸めて、それをお土産に持って家に帰って、で、家でそのおせんべいをたべるというのが習慣みたいなものになってて、だいたい小学校終わってからそのもんじゃやさんにいって、マガジンだとかサンデーだとかを読んで、それでもんじゃを食べて、そんなことをしてましたね。

 

自宅の前で

 

 

宮本氏へのインタビュー  2/6    (インタビュアー宮本)
(2018.6.10)

 


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