路地の思い出・獅子舞、おばけ大会

Q:お正月には月島の路地にも獅子舞が来ていたのでしょう?

ー獅子舞の思い出、狐もひょっとこも登場

お正月なんかは当然、いろんな行事があったんですけども、そこの路地で羽根つきをしたりとか、やったんですけども、昔、獅子舞の人達が各路地をずっと、佃島から月島にかけてずっとまわっていくんですよね。

で、値段によっていろいろ出し物が変わってくるんですけども、うちはちょっと貧乏だったんであまりお金は払えなかったんですけども、うちの座敷でお獅子が獅子舞をしてくれると、そうようなこともあって。

で、お隣の松原さんの家は非常に裕福な家で、そこはひょっとことかキツネとか、いろんな出し物をするんですよ。お獅子だけじゃなくて。それが非常に面白かったですね。

ほんとに今でも印象に残ってて、今はそういう獅子舞が回ってくるというようなことがまったくなくなってしまったんですけど、昔はそういう人たちがいましたので、非常に楽しかったですね。

 

ー交番の隣にあった映画館と芝居小屋

月島は月島温泉のところのちょっと先、ちょうど交番の並びにあたるんですけども、今マンションになっているところになるのかな、そこに東映のションベン映画館と昔言われていた、その東映の映画館と芝居小屋がありまして、東映の映画館は中に入るとトイレの 臭いがすごいんですよね。臭くてね。

『月光仮面』だとか、『新五十番勝負』だとか、そういうのをよく見に行きました。東映の映画なんですけど、当然ね。映画館にはよく連れていってもらいました。

 

ーお岩さんの芝居はものすごく怖くて、夜眠れなかった

芝居小屋ではすごく印象に残っているのは、夏にお岩さんの芝居をかかったんですよ。うちのおじいさんおばあさんと、あとおやじもおふくろも一緒に行ったのかもしれませんけども、見に行きまして、小さかったんで、すごい怖くて、その夜は眠れなかったですね。芝居小屋はお岩さんの四谷怪談くらいしかまったく印象はないんですけど、そういう小屋があったというのは今ではちょっと考えられない懐かしい思い出になってます。

 

Q:佃大橋開通の時の思い出もあるんでしょう?

昭和39年に佃大橋が出来たということで、ちょうどその年に佃の渡しがなくなったという話なんですけど、小学校時代は鼓笛隊をやってまして佃大橋を鼓笛隊でパレードしたというようなことをしました。結構晴れがましい思いがあったですね。

 

ー佃大橋でも危ない遊びをやっていた

ちょっと危険な話を昔よくやっていたという話をしたんですけど、その佃大橋の下に非常階段というんですかね、橋の下に通れるような狭い道みたいのがあるんですよ。一歩踏み外すと川に落ちちゃうんですけど、そういうところも、危険なところが大好きなんで、そこを通って向こう岸まで行ったり、そんなこともやってまして、そこで子供が落ちて死んだとかいう話もきいたことがあるんですけど、今から思うと危ないことをしていたと思うですけどね。

 

ー路地や三間道路が再開発で無くなるのは本当に寂しい

そういう路地だとか三間道路だとか、月島はやっぱり路地で子供達がいっぱい遊ぶ、と。そういうような生活が定着してましたんで、再開発ということで路地自体がなくなってしまうということは本当に寂しいことです。

 

ー路地でのおばけ大会

とにかく路地にはいろんな思い出があるんですけど、また取り留めのない話になるんですけど、路地でお化け大会というのをやったことがあるんですけど、うちの姉さんがそういうのが好きというか、目立ちたがり屋というか、姉の友達とかいっぱい集めて、路地でお化け大会をやるというので、夏休み、夕方ちょっと暗くなってから、ちょっと白く顔を塗ったり、お化けの格好をして、近所の人が通るときに驚かすというような、そういうお化け大会の催しみたいなのをしたことがありますね。それもすごくいい思い出だと思います。

 

住吉神社のお祭りで子供神輿を担ぐ準備
後ろにはおばあさんが同じポーズをとって立っている

 

宮本英一氏へのインタビュー   3/6    (インタビュアー宮本)
(2018.6.10)


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